体の相性より不特定多数の人とのSEXの回数の方が重要だったの?ヒカルさん

むっちゃん先生です。
以前コラムに『「結婚に体の相性は重要じゃない!」byヒカル』の記事を書きましたが、今回のオープンマリッジ騒動を受けてよくよく考えると、ヒカルさんって性依存に近い傾向があるのかもしれないと思った私。だから、体の相性は二の次でOKで、行為をすることが制限されることの方が耐えがたいことだったからのオープンマリッジ宣言だった気がしたのです。

複数の女性と遊んでいることが当たり前のようなお金持ちのコミュニティーに属していると、パーティーで知り合った女の子をお持ち帰りしてSEXすることも抵抗がないでしょうし、エイベックスの松浦社長が開催したパーティーでも、参加していた初めて会った女の子とトイレで行為をしたと武勇伝のように語ったとか言われていますから、そんな行為に体の相性なんていらないですよね。まだ体の相性を語っている人の方が、相手をひとりの人として見ているのかもしれません。

ヒカルさん自身は気づいていないと思いますが、知らない間に性依存になってないかな?この状態になると、今まで繰り返されてきた特殊なSEXの習慣や興奮から離脱することは、さすがに理性で何とかコントロールするレベルではないかもしれません。新婚早々にも関わらず、自身の欲望や衝動が抑えきれなくて、奥さんの横で複数の女性にお誘いのlineをしたり、ハーレム構想のようなとんでもない提案を奥さんにすること自体、禁煙や断酒を試みている人がギブアップする直前の状態に近いように見えてしまいます。タバコやお酒ですら離脱することは相当なエネルギーや治療が必要なわけですから、性依存となると言わずもがなです。

伊東明先生の著書『恋愛依存』の性依存の項目の中に、自分の行動を正当化することで深みにはまると記されていますが、その代表的なセリフを下記にあげてみます。ヒカルさんの動画の弁明に似たところがないでしょうか?
「セックスぐらい、どうってないさ。法律を犯してるわけじゃないし」
「誰でもやってることさ」
「自分へのご褒美だ」
「ちょっとした息抜きだ」
「リラックスするためには仕方がないんだ」
「ちょっとした刺激を求めるぐらい、悪くはないでしょ?」
「外で息抜きをしているからこそ、家庭や仕事がうまくいくんだ」
「男なら、それぐらいでなくちゃ」
「みんな、もっと、自分を解放しなきゃ」

著者の伊東明先生いわく、『お酒ぐらい誰だって飲んでいるさ』でアルコールの過剰摂取を続けてしまうのと同じことのようです。また、本当は自分でも「このままではいけない。やめなければ。何とかしなければ」ということはわかっていて、わかっているからこそ、上記のようなセリフで自分を正当化せずにはいられないのだと。

そして、この状況に陥りやすいパーソナリティーについて、伊東先生はこう書かれています。
□セックスを得るためなら、たとえそれが嘘でも「愛している」と言える。
□気分が落ち込むと、どうしようもなくセックスがしたくなる。
□セックスへの衝動が高まると、自分を抑えることができなくなる。
□セックスを得るためなら、ありとあらゆる手段を用いるし、どんな努力もいとわない。
□初めての女性とセックスにまで持ち込めた時、「勝ち誇った」感じや、「自分は大した人物だ」  という感じを持つことがある。
□初めて出会ったばかりで、性関係を持ってしまうことが多い。
□不特定多数との性的関係の経験がある。
□仕事のことなのでイライラしている時、セックスによってそれを鎮めようとする。
□セックスの衝動に駆られると、リスクやデメリットのことがきれいさっぱり頭から抜け落ちてしまう。
□セックスをしている時だけが、唯一「やすらぎ」を感じられる時である。
□セックスをしている時だけが、唯一「生きている」という実感を得られる時である。
□セックスをしている時だけが、唯一「愛されている」という実感を得られる時である。

会社もどんどん大きくなり、ヒカルさん自身が頑張らないといけないから、虚勢をはらずにはいられないことも理解できますが、仕事の存続のためにも、根っこにある自信のなさと不安を周りが気づいてあげることが大切なことなのかもしれません。あのオープンマリッジ宣言動画は、ヒカルさんのSOSのように感じた私です。

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